長嶋正樹の靴屋稼業50年 その33

September 5, 2016

ThomMacan  6

 

1975年当時は、今の様にアメリカンタイプの靴やブーツが

 

なかなか手に入りにくく、品揃えに苦労した。

 

見よう見まねで神戸のメーカーでデッキシューズを作ったり、

 

九州、佐賀にあった月星の関連会社の「アイヴァン」で

 

カウボーイブーツを作って貰ったりしたが、

 

本物には程遠い出来だったと思う。

 

僕は、その頃紳士靴バイヤーでなく、販売促進マネージャーで

 

関西地区の営業責任者だった。(別名反則マネージャーと呼ばれていた)

 

阪急ファイブのThomMacanは僕の大好きな靴や

 

アメリカっぽい店の雰囲気が気に入って、毎日店に出ていた。

 

周りの店の人は僕が店長だと思っていた様だ。

 

店は順調で年商は12坪で年間1億2000万円のペースで推移していた。

 

1976年創刊の雑誌「Popeye」の創刊号に広告を出したりした。

 

 

続く

 

 

 

 

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