長嶋正樹の靴屋稼業50年 その75

July 11, 2017

Levi’s Shoes 1

 

 

1984年の春、西新宿のワシントンホテルの隣にあった僕の事務所に

三菱商事の藤田さんが同じフットウェア部の宮本さんを連れて会いに来た。

 

以前にも書いたが、月星化成(現ムーンスター)と三菱商事が合弁でThom Mcan Japanを展開していて、

僕が店を出したり、商品開発の手伝いをしたりして三菱商事のフットウェア部の藤田さんとは

公私共に仲良くさせて貰っていた。

 

宮本さんは東大を卒業して三菱商事に入社し、当時資材部の中で靴の仕事を担当して、

韓国の釜山に駐在してアメリカ向けのスニーカーを大量に輸出していた。

 

アメリカのシアーズローバック、JCペニーなどGMSと呼ばれる巨大なチェーンがハウスブランドのスニーカーを販売していて、それをを三菱商事とアメリカのスニーカー王と言われたCITCのジョナス.センタが台湾や韓国で生産していたのだが、

そのハウスブランドがアディダスやプーマなどのナショナルブランドが取って代わり、急激に落ち込んだのだ。

 

三菱商事はアメリカのシューズビジネスを手仕舞いしたが、カナダで引き続きシューズビジネスを再開していた。

宮本さんは釜山からカナダのトロントに赴任して、CITCに居たポール.ダニエルさんが社長をしているMr.Dと

カナダのスニーカーのビジネスをしていた。だが日本で新たなシューズビジネスを構築しなければならない。

そこで日本に帰って来て、新たなビジネスを立ち上げの相談をしに僕に会いに来たという事でだった。

 

日本で新しい靴のブランドを立ち上げよう、それにはカジュアルブランドだろうという事で、

アメリカのカジュアルブランドの代表は、Levi’sだとアメリカ好きの僕が提案し、Levi’sブランドの靴を作ろうという事になった。

 

早速、青山のリーヴァイスジャパンに靴のサンプルを持ってプレゼンテーションをしに行った。

当時ライセンスビジネスの責任者は飯山さんで、カルフォルニア大学のバークレーのMBAを取得して

サンフランシスコのリーヴァイス本社に入社し、リーヴァイスジャパンのライセンスを担当していた。

 

持って行ったサンプルと僕をなぜか気に入ったようで、「リーヴァイスブランドは三菱商事に渡すのではなく、長嶋さんに渡すよ」と言って頂き、リーヴァイスの本を貰った。

 

 

続く

 

 

 

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