長嶋正樹の靴屋稼業50年 その109

March 8, 2018

Allen Edmonds 3

 

Allen Edmondsの初代日本担当はジョン.ハップさんだった。ジョンさんはフランス語、イタリア語、スペイン語、ドイツ語と何カ国語も話せるのだが日本語は話せなかった。それでも僕のへたな英語を良く理解してくれた。そのジョンさんがAllen Edmondsを辞めてしまった。

 

その後任の日本担当が日本語ベラベラのクレイグ.ステーブンソンさんだった。昔神戸に住んでいて、そこで日本語を覚えたそうだ。クレイグさんと夏の暑い日に市場調査をした事があった。銀座、日本橋、新宿などのデパートの靴売り場を見て回り、暑いのとさんざん歩いたせいで喉がカラカラに乾き、カキ氷を食べようと喫茶店に入った。クレイグさんはカキ氷を食べるのは初めてだと言い「うまい、うまい」と食べていたが、途中で手が止まった。そして頭に手を当てて「頭が痛い」と言って食べるのをやめた。それ以来クレイグさんに「カキ氷を食べよう」と誘うと「かんべんして!」と断るのだ。

 

クレイグさんも何年かしてAllen Edmondsを辞め、Johnston & Murphyに転職した。そこでも日本担当で、日本に来た時はよく食事をした。

 

三人目はフランス人のジャッキー.クレスさんで、ジャッキーさんは以前フランスのタンナー、コスティルの営業マンだった。高級メンズシューズに使われる革は、タンナリー.ディ.プイ、アノネイ、コスティルとフランス製の3社が有名で、そのコスティルに居たので高級な革に関しては詳しかった。靴の話よりも革についての話で盛り上がって、非常に勉強になった。(ジャッキーさんの英語は聞きやすかった)

 

僕が後に山長を立ち上げた時はコスティルの革を使った。ジャッキーさんは、僕が店を離れる時はまだAllen Edmondsの担当だったので、今はどうしているのだろう。

 

初代のジョン.ハップさんは、ローファーで有名なGH.Bassに行って、僕たちと日本のGH.Bassの販売代理店契約を交わしたりしたが、今は語学力を活かしてALDENのヨーロッパ担当をしている。

 

クレイグさんは、ウィスコンシン州で自分の会社を立ち上げ活躍をしていて今もFacebookでコミニュケーションを続けている。

 

Allen Edmondsは現在、オーナーが変わり組織も変わってしまったけれど、いつまでもアメリカ製のトラッドな靴を作り続けて欲しい。

 

 

続く

 

 

 

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