長嶋正樹の靴屋稼業50年 その149

January 5, 2019

中国での靴作り 1 

振り返ってみるといろんな国で靴を作って来たと思う。 
北米、南米、西欧、東欧、アジアの靴工場を巡って来て、その中で中国での靴作りは抵抗があった。 

1994年1月の末、極寒の中国北部、大連、瀋陽、天津の靴工場を視察に行った時です。 
当時僕は三菱商事の靴の子会社ライフギアコーポレーションの仕事をしていて、靴業界は中国での生産に注目していました。 
「長嶋さん、中国の靴生産事情を見て来てよ」と社長の宮本さんが僕に依頼?(命令)して来たが、「えっ!行きたくねえな!」と思ってしまった。 
僕の顔色を見て宮本さんは「なべさんが一緒だから、頼むよ」とたたみかけてきた。 
なべさんこと渡辺さんは三菱商事のフットウェア部からの靴の大ベテランで大の中国の歴史が好きな人だ。 

ニコニコして「長嶋さん中国に行った事ある?」 「ありません」 「駄目だよ〜中国は変わるよ!これからは中国の時代ですよ」となべさんが言った。

「でも...」と逡巡している僕に「靴作りにはもう中国を外して考えられないよ。長嶋さんは中国を見る必要があるよ」とさらにプッシュする。 
「しょうがねぇな〜、行きますよ」となって1月の20日に大連に出発した。今から丁度25年前だ。 

大連の空港に到着すると寒い!気温マイナス10度...。 
僕はキャメルヘアのジャケットにPOLOのダッフルコート、ウールのパンツにスエードのマッドガードのチャカブーツ東京の冬のスタイルだ。 

大連では韓国の釜山で靴の工場をやっているデーヤ(大野)の社長がアテンドしてくれた。 
僕もLEVISの靴を釜山の工場で作って貰ったので周知の仲だ。今度大連で靴の工場を作るのだという。 
そのデーヤの社長の知り合いの靴工場を見て、夜遅く車で瀋陽に向かった。 

瀋陽はさらに寒くマイナス25度で、寒いより何よりやたらと静電気が起きるのが参った。何処を触ってもバチバチとくる。 
幾つかの工場を周ったが国営で大掛かりの大量生産工場ばかりで得るものは何もなかった。 

日曜日の朝、渡辺さんが故宮博物館に行こうと誘いに来た。僕は前の晩から熱っぽく、行きたくなかったが、断るのもためらわれ行く事にしたが、博物館は建物の中ではなく、外から見るのだ。マイナス25度の中、清王朝のお宝を見て周るのは苦痛以外何物でもない。 

ホテルに帰ると寒気がして、お土産用に買ったカシミヤのセーターを着てベッドに潜り込んだ。 
夜中ぐっしょり汗をかいて何度も目が覚め、その度に着替えた。 

瀋陽から天津に着いたら暖かく感じたが、そこでもマイナス10度で、ホテルの窓から外を見ると凍った川で子供達がスケートをしていた。 
車で天津から北京に行き、途中天安門広場で渡辺さんがまた北京の故宮博物館に行きたいと言うので、今度は勘弁してもらった。 

北京から成田のフライを経てなんとか家にたどり着いて、ほっとしたのだろう。熱が40度以上出て、それから3日間40度の熱が続いたのだった。 
「もう絶対中国なんか行かないぞ!」と心に決めた旅だった。 

続く

 

やっぱり暗い顔をしてますね 笑

 

 

 



 

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